2018年

4月

08日

大須おみやげカンパニーにて販売開始

今日から名古屋・大須商店街のお土産店「大須おみやげカンパニー」さん(写真下)で、私のイラスト絵葉書「名古屋飯盛亭五人衆」(5枚セット500円)を販売していただいてます。わーい。

 

第4回寄席描き展に出展した3枚に2枚加えて、現在は大須演芸場に展示中。


お店の場所は、大須観音に一番近い「大須観音通り」。演芸場の近くです。
他にも名古屋・大須関連グッズがたくさん売ってて、面白いお店ですよ。大須にお越しの折はぜひ覗いたってちょーせ。

2018年

3月

24日

『みなさん』終了と『めちゃイケ』のこと

この春、フジテレビのゴールデンタイムを長く支えてきた2番組、『みなさんのおかげでした』と『めちゃ×2イケてるッ!』が終了する。何も同時期に終わらなくても……と率直に思うが、バラエティ史に名を刻むほど功績を残した2番組がほぼ同時に終わることは、それだけ局的に危急の状況だった…ということも容易に想像できる。

 

とんねるずの2人は石橋1961年、木梨1962年(早生まれ)で、ナインティナインはその一世代下(岡村1970年、矢部1971年)。私は世代的にとんねるずとほぼ同じで、見てきたものも一緒なので、とんねるず寄り。

『みなさん』の最終回のラストコメント、
「30年間支えてくれたすべての仲間と テレビの前で同じ時代を過ごしてくれた あなたに愛と感謝を込めて… みなさんのおかげでした」

が最も身に沁みたのは、まさしく『みなさん』を特番時代から追っかけていたとんねるず世代に向けた言葉なのだろう。そのうちの一人として感動ひとしお。我田引水ですかね。

 

『みなさんのおかげです』時代は主にパロディ中心。既成の概念を壊す芸風が売りだったとんねるずは、のびのびとドラマ・映画・アニメ等あらゆる映像ネタのパロディをしまくって壊し続けた。

1994年から『ラスタとんねるず'94』に模様替え。『Spitting Image』というイギリスの風刺人形劇のパロディや、社会風刺替え歌などを始めて、一歩大人のギャグマンに進化するかと思われたが、半年で終了してしまった。(Wikipediaによれば別の事情があったらしいが)

その『ラスタ』が好きすぎて、その後の『本汁でしょう』時代や野猿の出ていた『ほんとのうたばん』時代は見ていなかったが、『食わず嫌い王』がメインになっていた頃から再度見始めて、最終回までほぼお全部付き合いした。

 

最終回は自分が見ていなかった『ほんとのうたばん』形式の構成だったけど、最初期のPVパロディがちょこっとだけ見られたのが嬉しかった。
今思うと、肖像権や著作権がマスコミ的に厳格になりつつあった時期から、番組内容が「脱パロディ」にシフトしていたのだなぁ。音楽番組風になっていたのは、プロデューサー石田氏が音楽業界に顔が効く人だったから、音楽業界のパロディをする方向にシフトチェンジしていたのだなぁ。
その後は合間合間にパロディ要素のある企画を挟みつつ、基本オリジナル路線で進んだのだけど、気がつくとゴールデンタイム全体の風景が変わっていた……そんなところだったのかもしれない。とんねるずの「壊す」イメージの受け入れられ方も、視聴者の世代が変わったことで違う捉えられ方になってしまったように思う。ただのパワハラ的な意味に。もっともこれは、とんねるずがそこそこいいトシになってしまったせいもある。20代と50代では、同じことをしても周囲の捉え方が違う。

そんな50代の2人だからこそ、最終回のラストには『一番偉い人へ』を歌ってほしかった。きっとピッタリはまって、めちゃくちゃカッコよかったと思う。残念ながらその願望はかなわなかったが、第二希望の『情けねぇ』だったのでこれもまたアリ。「この国」の歌詞だけ「バラエティ」「フジテレビ」に変わってましたけどね。

 

 ~ ~ ~

 

『めちゃイケ』はじつは前身番組『とぶくすり』以降、ゴールデンになってからもしばらく見ていなくて、最初に見たのが極楽とんぼ山本が出なくなった回から。その後、矢部の前の恋人との別離とか、岡村の休養~復帰とか、ドキュメントで番組を作る手法がすげーなーと感心しているうちに、ちょいちょい「終了?」の噂を聞くようになりだした。

 

やっぱり、同じ「笑い好き」でもこちらはツボも違っていて、ドキュメント的演出の他で食いつけるコーナーがそんなには無かったけど、旬のタレントさんや、これから旬になっていくであろう芸人さんの情報をゴールデンタイムにいっぱい吸収できたのがよかったかも。

あとそうだ、エンディングの「まるはま」さんの名前が見られなくなるのは寂しいなぁ。浜本ひろし先生、お元気ですか?

 

述懐の行数で番組への思い入れの差がはっきり出てしまったけど、どちらも長年お疲れさまでございました。至る所に青山あり、の思いで「次」も期待しております。
時間の都合で推敲ナシ。乱文失礼しました。

2018年

2月

21日

お知らせ関係

★お知らせが遅くなりましたが、先月19日発売の『孫子の兵法で脳トレーニング』(脳トレーニング研究会編、黎明書房)という本で、表紙と本編のイラストを担当させていただきました。

脳トレ好きの皆様、三国志好きの皆様、ぜひ読んだってちょ。

 

★noteの方では落語コラム『落語好きの諸般の事情』が奇跡的に長続きしておりまして、まだ書いてます。毎週土曜更新中。

それとは別に、noteの募集企画「チャーハン大賞」に、チャーハンをテーマにした短編創作落語をエントリーしました。タイトルは『料理人に聞け!』
読者の反応を示す「スキ」ボタンも審査対象になりますので、noteに登録しておられる皆様はぜひ「スキ」くださいまし。

2018年

1月

15日

続・さらば!センちゃん

中日がセリーグ優勝した1999年、秋季キャンプが倉敷マスカットスタジアムであり、その時星野監督の出身校である倉敷商のOBの方から「幟に似顔絵を使いたい」と連絡を頂いた。
どうぞと返事をしたしばらくのち、その幟の現物が、星野監督のサイン入りで送られてきた。

当時はデジカメを持ってなかったから、現物をネットで公開するのは初めてかな。人前に持って出たのも確か一度きりのはず。

日本シリーズは敗退してるけど「日本一」。岡山ですんで桃太郎見立てとか、願望とか郷土自慢とか入り混じっての文言かと。

今日1月15日から、ナゴヤ球場で星野さんの献花台が設置される。
どうやら今後野球マンガでお呼びがかかる機会も無さそうだし、いっそこの幟を星野さんに返しに行こうかな、と思って引っ張り出したのだけど、直筆サインが入ってたのを忘れてた。

やっぱり大事にとっておきます。ご縁ってのは切れませんやね。

2018年

1月

08日

さらば!センちゃん

元中日ドラゴンズの「ドラまちっくセンちゃん」、星野仙一さんが1月4日に亡くなられた。

死因は膵臓ガン。享年70は早すぎる。

 

 

 

星野さんが最初の中日監督に就任する1987年、学生時代に同人誌でお世話になっていた出版社の社長さんからの勧めで、星野さんキャラが主役の『熱漢ホシノ!!』という野球4コマ本を描き下ろした。

この本は結局流通には乗らなかったが、この原稿を芳文社「まんがスポーツ」編集部に持ち込んだのがキッカケで、お仕事をもらえるようになり、ここから野球4コマでメシが食えるメドがたった。その意味ではマンガ家人生のうえで大恩人なのであった。

さっき調べたら、名古屋の鶴舞中央図書館に『熱漢ホシノ!!』が所蔵されているらしい。なんと有難いことか。絵はビックリするぐらいヘタですけどね。

他にも、2003年の阪神優勝の時も野球4コマのアンソロジーを企画してオークラ出版から出させてもらった。この時すでに野球4コマは下火だったのに、なぜか阪神関連だと企画が通ったのであった。やっぱり大恩人。

 

最後に星野さんの4コマを描いたのは、商業誌でも新聞でも書籍でもなく、まだ東京にいた2012年の夏に参加した「クリエイターEXPO」の自分のブース用に展示したマンガだった。 

ほんのひとコマきりだったとはいえ、東京時代は最後の最後まで、センちゃん頼りのマンガ家人生であった。

 

楽天のフロントになられてからは、たまにTVでお顔を拝見する程度であったが、名古屋では先月12日に、CBCを定年で退社される久野誠アナと番組で共演なさったばかりだった。

近い将来、野球機構側に入られるんじゃないかと思っていただけに、いまだに信じられない気分である。

 

センちゃん、いや仙さん、いや星野仙一さん、30年間、本当にありがとうございました。

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