※ここでは、旧ブログ「ギャグ屋のきこんかい帖」の2013年5月以前の記事の中から、比較的アクセスが多かった、他カテゴリと重複しない記事を中心にピックアップして掲載してます。

なんで『笑点』出なきゃいけないの?

(2013.5.6記)

昨夜の『日曜×芸人』(テレ朝)はオモロかった。ゲストの壇蜜さんが、番組内でバカリズムとアドリブミニコントをやる場面。
TV局の楽屋で本番前にごねるタレント(壇蜜)と、なだめるマネージャー(バカリズム)という設定、しかも2人はちょっとアヤしい関係。


 壇「もう出たくない…」

 バ「でもみんなスタンバってるからさー」

 壇「嫌だって言ったじゃん…もうこういうお仕事しないって言ったでしょ?」

 バ「引き受けたんだから、やるしかないでしょ?」

 壇「大事なことを後に言うなんてさ、全然この間と変わってないじゃん…」

 バ「この間はこの間で謝ったでしょ」

 壇「なんで…なんで『笑点』出なきゃいけなかったの?」

 バ「それはしょうがないじゃ…」

 壇「だって、だって、ケーシー高峰さんいなかったじゃん!
   なんで(快楽亭)ブラック師匠がいたの?」

  (横からザキヤマ「よく知ってんなー」若林「普通に失礼だろ」)


『笑点』までは「おっ、さすがDM姐さんヤルじゃん!」と思ったけど、ブラック師の名前が出た時はコケた。同時に心ワシ掴み。
オチの「このあと…アレ?」「このあとアレ!」のエロいやりとりが要らなく思ったくらい。
DM姐さん、地上波でもいよいよこっちの才能を見せ始めてくみたいです。肌の露出が減ってくのと引き換えですが、私的には大歓迎。

落語トリビア・3

(2013.1.16記)

先週7日、たまたまBS日テレの『笑点デラックス』を初めて見ましてね。1時間枠だったのでどんなんだろーと思ったら、以前の『笑点』の再放送(×2)でした。
でも司会の五代目円楽師もこん平師もお元気な頃だし、何よりみんな若い若い。もちろん今の円楽師はまだ楽太郎、木久扇師は木久蔵の名前でした。


いつ放送かのテロップはあいにく見そびれたのですが、やってた大喜利の出題に「先日郵便番号が7桁になりました」ってのがあり、調べてみたら1998年2月のこと。15年前の当時の放送なんですな。


で、本題はここから。
この日のどっちかの放送(忘れた)の大喜利1問めで、都々逸の文句『一度でいいから 覗いてみたい…』に続く七・五を埋めるってのがあって、そこで出た歌丸師の回答が、『一度でいいから 覗いてみたい 女房がヘソクリ 隠すとこ』という、例のアレだったのでした。


コージー冨田さんが歌丸師の物真似でこのフレーズを必ず使ったため(コージーさんは「覗いてみたい」ではなく「見てみたい」に直してた)、その後、歌丸師といえばこのフレーズになった、そのおおもとを聞けたわけです。
偶然だったとはいえ、貴重なモン見られました。

そういやこの放送で四代目三木助師の落語もやってました。久々だったなぁ。

落語トリビア・2

(2012.10.9記)

Facebookの「お江戸タイムトラベル」というページで紹介されていた、山東京伝の戯画集『悪態鮫骨(あくたいのきょうこつ)』からのワンカット。

当時の悪態に「顔に祭りが通らぁ!」というのと「じゃあそいつを見物してやらぁ!」という買い言葉があって、その絵。なんとなく落語の『あたま山』を彷彿とさせる構図です。


落語の一見唐突な設定とか、唐突に登場する小道具って、その落語ができた当時の流行や社会風俗と密接にからんでいたりする例がままありまして。

例えば先日ある本で知ったのでは、安政元年(1854年)「流行病にはぼたもちが効く」という噂が流布したそうな。これなんてモロに『黄金餅』ですよね。だから西念さんはぼたもち食ってたんだ、っていう。

また、明治中期には万年青(おもと)を鉢植えするなんて流行もあったのだとか。五代目柳家小さん師の『道具屋』に、「万年青の鉢か?」「いえ、つばの取れたシルクハットです」という当時作られたんだろーなーってやりとりがあります。さすがに最近『道具屋』にこのフレーズを入れる噺家さんは減りましたが。

 

作られた当時の時事性を落語に盛り込むのって、作者の思惑は別にしても、結果的に後世の人へのクイズみたいになってて楽しいです。
(コミックソングの世界では30年前に大瀧詠一氏が同じことを指摘してました)
ちょっとずつコレクションして、いずれまとめてみたいなー。

落語トリビア

(2012.2.27記)

調べものの途中でちょっと面白い落語トリビアをめっけたので、ご紹介。


おなじみ長寿ミニ番組『くいしん坊!万才』の初代リポーターは俳優・渡辺文雄さん(故人)というのが定説になってますが、渡辺さんがレギュラーリポーターになる1975年6月以前、各界の著名人が日替わり・週替わりで担当していた時期があったのだとか。
(フジテレビの公式サイトは渡辺さんの回を第1回としてる由)


で、実際の放送第1回である1974年10月2日の放送でリポーターを務めたのが、なんと八代目林家正蔵師、のちの林家彦六師なのだそうな。
(Wikipedia「くいしん坊!万才」の項より)

九代目正蔵師のグルメリポートは今も時々TVで見かけますけど、先代のトンガリ正蔵がいったいどんなリポートをやっていたのか、めちゃめちゃ興味あります。映像無いのかな。

34年前の正月番組

(2010.12.29記)

2010年の総括的日記を書くところが、総括することがなんもない。

で、その代わりというわけではないけど、ひとつご紹介。

「まだある。昭和ナビ」という情報ポータルサイトで、昭和52年(1977年)の正月三が日のTV番組表(関東キー局)を再録してて、TVっ子の私としてはこれがなかなかハマる。


 ★昭和52年1月1日(土)のTV欄

 ★昭和52年1月2日(日)のTV欄

 ★昭和52年1月3日(月)のTV欄

 

長時間バラエティに慣れつつある昨今、感動さえ覚えるシンプルぶり。
意外なほど通常番組が正月なのにそのままやってて、当時はあたりまえだったとはいえ、現在の視点からすれば新鮮。

出演者では、なんと言ってもコント55号の露出量。『トンヒラコッペドビダブチョ』懐かしーなー。一部DVDにもなってますな。
あと、関東の落語家さんの名前が目立つのがうれしーやね。
驚いたのは、吉本芸人の名前があまり無いこと。目立つ名前は仁鶴・三枝・やすきよぐらいで、あとは寄席番組に数組。そうそう、「明石家さんま以前」の東京の番組って、こんなだっけなー。


ひとつひとつ思い出話を挙げだすとキリがないのでこのへんで。
とても楽しめる記事なんですが、あと少しだけ校正ガムバッて下さい(汗)。

内部資料…かな

(2009.12.13記)

神保町の古書店で日本テレビ『エンタの神様』の放送台本をめっけた。思わず購入。

(ちなみに売価はン百円でした)

#008、つまり放送第8回。2003年6月7日放送分。
読んでて思い出した。ワタシが最初に『エンタ』を見た回だ。出来すぎな話だけど、ホントにそう。


まだ当時は芸人以外もたくさん出ていた。
Mr.マリックが「松尾幻燈斎」って名前でレギュラーで、「ハンドパワーです」じゃなくて「気の力です」ってのが決めゼリフだった。サイコルシェイムがニューハーフと踊ってるVTRがあるかと思えば、スタントマンがバンジーで地上スレスレの大福をくわえる、なんて芸もあったり。沢田知加子やBEGINの歌もあったりして、寄席みたいにバラエティに富んでた。

 


たぶん内部資料なので出演者以外のことはバラさないけど、構成作家の中にかつて『電波少年的放送局企画部 放送作家トキワ荘』に出演していたメンバーの名前を見つけた時は、ちょっと嬉しかった。好きだったんだよねー『トキワ荘』。
6年半経ったけど、皆さんは今でも放送業界でお過ごしなんだろーか。

僕たち「伊集院光芸人」です

(2009.7.21記)

伊集院光は以前『アメトーーク』の「ぶっちゃあの子供達」の回に出演していたが、その伊集院がメインを務める番組からも、若手芸人は大勢輩出されている。


筆頭格はアンタッチャブル。テレビ東京のゲーム番組で共演以来、まだM-1の覇者になるだいぶ前から一緒に行動を共にしている旨、よく自身のラジオ番組でしゃべっていた。
最近では、『レッドカーペット』で「小ボケ先生」のネタがウケて、あちこちの番組で見かけるようになったオテンキがそう。
ただいずれも、伊集院本人はラジオで「自分の力で勝手に売れた」と発言し、決して自分の手柄話にしないあたりがサラッとしてて潔い。


草野球チームで長年若手芸人と一緒にプレーしているのと、ちょいちょいある冠番組に若手を登用する機会を作るのとで、調べるとけっこうな量の「伊集院光芸人」がいる。
以前日曜昼にやっていたラジオ番組『日曜大将軍』~『日曜日の秘密基地』ではU字工事益子や、360°モンキーズ杉浦もセミレギュラー出演してたっけ。U字工事なんて当時はほぼ無名だったなぁ。
どきどきキャンプ岸もレポーターオーディションで出演した経験を持つ。『~秘密基地』は他にもクワバタオハラやキングオブコメディ、ほたるゲンジの桐畑トール他、とにかく様々な若手がセミレギュラーで出てた。(一時サンドウィッチマンも出てたが、途中から出なくなった)


また、現在BS11の『伊集院光のしんばんぐみ』でも、若手芸人を登用中。

この番組の前身『伊集院光のばんぐみ』に出てた白鳥久美子と川村エミコが、こないだ「たんぽぽ」ってコンビ名で何かの番組に出てたのを見た。
『~しんばんぐみ』ではオテンキがレギュラーで、他のレギュラー出演者はイマニヤスヒサ・田代32・浜ロン・サードメン高橋・新宿カウボーイかねきよ。桐畑もレギュラーだったが、初回放送でかねきよと交代でクビになった。


総じて共通するのは、ホリプロや人力舎といった東京メインの事務所所属。ほとんどがそうなはずで、吉本芸人が一切いないのも特徴的ではある。

タレントとしては現在中間管理職みたいなややこしい位置の伊集院だが、今後セルフプロデュースで何か行動を起こす予定とかは無いんだろうか。(たとえは微妙に違うけどカンコンキンシアターみたいな)
伊集院の気配り体質はプロデューサー向きだと勝手に思っているのだが。もっとも、最近のラジオを聴いていると“気配り疲れ”のケハイもあるので、ファンとしては、本人の中で機が熟するのを待ちたい。気長に。勝手に。

読み方

(2009.5.27記)

いわゆる『トムとジェリー』の真ん中の作品の監督として知られる、私の好きなアメリカのアニメーション監督、Tex Avery。
この"Tex Avery"の読み方、いまだにネット上で「テックス・エイヴリー(エイブリー)」とか「テックス・アヴェリー(アベリー)」とかいろいろあって、統一されていないのはなんでだろう。

 

旧ブログ時代の拙日記では、自分が20年以上使い続けている「エイヴリー」の方を採用していた。
理由は、1990年に発売されたテックス作品の吹替ビデオ『楽しいハリウッドアニメ 月へ行った猫(他)』で、「エイヴリー」の名を強く認知したため。ちなみにこのビデオの解説を書かれていたのはアニメ評論家の森卓也氏。

 

Wikipediaの同監督の項では「アヴェリー」を採用している。
一説には、古いアニメファン(基準がよくわからない)は主にこう呼ぶそうだ。きっとWikipediaの項目を立ち上げたのもそちらの方なのだろう。ただし「実際の発音は『エイヴァリー』に近い」と説明文中にはある。

 

このテの局面でありがちな「どっちが正しいか論争」には、3種類の結論パターンがある。すなわち、
【1】どっちも正しい要素を含む
【2】じつはどっちも正しくない
【3】どっちかが歴然としたウソなのだが、曲げずに言い張っている

……で、この事例においては【2】であることはWikipediaでも言明済みながら、今もって統一される気配は無い。何かキッカケでも無い限りは、今後も「アヴェリー」と「エイヴリー」の二つの名前が共存してゆくのだろーね。
仮にテックス作品が大ブレイクでもすれば、統一の必要に駆られるんだろーけど、来ないだろーなー、そーゆー日は。たぶん。

ドラフトごっこ

(2009.4.25記)

23日深夜『アメトーーク』でやってた、有吉弘行考案企画「芸人ドラフト会議」が、やたらオモシロかった。
野球のドラフト会議を知らないとオモシロ味半減かなー、と当初思ったけど、随時補足も入ってたし、マニアックな楽しさは十分伝わった気がする。
指名芸人にどこかしらシバリを追加するなどして、若干ワクの幅を固めれば第2回ではさらに楽しめるよーな気がした。バージョンアップした続編に期待。


プロ野球ファンの間で「模擬ドラフト」は定番の遊びで、私もずいぶん前に一度、某団体からのお誘いで参加させて頂いた経験がある。
その時は、現役プロ野球選手をドラフト指名対象に、たしか20組以上の参加メンバーが競合して選手を取り合っていき、独自の架空球団を編成してゆく形式だったはず。
ごくマニアックな参加者は、均整の取れたチーム編成にしてたけど、私はそれじゃつまんないので、多少のアンバランスには目をつぶって「打力のあるチームカラー」を目標に選手を集めていった。ピッチャーもよく打つ人を選んだりしてね。
16~7年前、まだドラフト会議が地上波中継されてた頃のお話。


 ~ ~ ~


以下余談。ふと思ったのだけど、「寄席芸人ドラフト会議」なんてのがあったら、ちょっとオモシロそーだ。

もちろん実際の団体名でやるとシャレにならないので、全部架空の、それも「打力」みたいにひとつカテゴリーを持った団体にして。


【例】 社団法人・「東海三県出身落語家」協会 ― その完成形

<会長>三遊亭円丈(愛知)
<副会長>桂福団治(三重)
<所属>(五十音順・東京は真打以上、大阪は中堅以上)
入船亭扇治(岐阜)桂文月(愛知)桂文我(三重)三遊亭愛楽(愛知)三遊亭歌武蔵(岐阜)三遊亭とん馬(愛知)三遊亭楽松(愛知)都家歌六(愛知)


~名前が落ちてる人、いたらゴメンなさい。うむむ、作ってみたら意外と人数少なかった。失敗。静岡を含めて四県にすると厚みが増したか。


……てな具合。他にも同様のパターンで、
★社団法人・「大柄落語家」協会(あるいは小柄落語家)
★社団法人・「前職が変わってる落語家」協会
★社団法人・「B型落語家」協会
★社団法人・「お酒大好き落語家」協会……等々、
複数の架空協会が互いに理想形を目指して芸人さんを獲得しあうというしくみ。
カテゴリーをビミョーに広めにするのが、競合指名が増えて盛り上がるポイントです。
ゲーム終了後は、お互いの協会で香盤と興行の顔付けを作ってみましょー。

本職の落語家さんがいる打ち上げの席じゃ、失礼すぎて絶対できませんけどね。

一平くん顛末記

(2009.4.18記)

落語界の“いっ平”が二代目三平を襲名したのと時同じゅーして、サッカーJリーグの方でも、“一平”が話題を集めてました。
以下、写真出典はサッカーニュースサイト「J's GOAL」ほか拾い画像数点。

 ~ ~ ~

ここは愛媛県のお食事処「ゆうゆう亭」。

 

このお店には、こんな絵本が置かれています。

この絵本から生まれたお店のマスコット、名前は一平くん。ちょっとリアル。

 

この一平くんが、去る3月29日、J2・愛媛FC vs セレッソ大阪戦の試合前エキジビジョン「愛媛ゆるキャラ100m走」に出場した際……

 

トップ快走途中、右足太ももを肉離れしてしまいました。気の毒に。

 

 

リハビリの甲斐あって見事に復帰、4月11日に再び愛媛FCの試合前イベントに呼ばれます。が……

 

愛媛FCのマスコット・オ~レくん vs 元関脇・玉春日(現楯山親方)の相撲対決で行司を勤めている最中、倒れたオ~レくんの巻き添えにより再び担架退場(涙)。

現在もその安否が気遣われてます。

 

 ~ ~ ~

 

なんでこんなにオカシいんだろーと考えてたら、思い出した。
ほとんど鳥獣戯画なんですな、コレ。

 

名古屋グランパスのグランパスファミリーも動きの面白さは負けませんが、鳥獣戯画の歴史の重みにはかないません。

再びコサキン終了に思う

(2009.3.29記)

3月28日深夜放送分をもって、TBSラジオ『コサキンDEワァオ!』が27年半の歴史に幕を下ろした。


大団円に向けたラスト4週の放送は、身震いモノだった。
明らかに古参リスナーへのサービスと思える、かつての意味ねーノリ。中でも、土曜に時間が移った当初やっていた「意味ねー新聞ラテ欄」(欄の1行全部『おぴょぴょぴょぴょ』とか以前やってた)が最終回で久々に復活。「コサキン(終) モレッ」。感激の3文字だった。


最終回を聴いてて、番組を聴き始めた24年前、ブンブン飛んでく会話と切り替えのスピード感に「新しい笑い」を感じ、毎週ワクワクしていた当時の自分を思い出した。
そんななので、当初はリスナー参加イベントなんかも時々行ってたりしたっけ。場所も時期も忘れたが、コサキン本『呂゛』が出た時のリスナー集会とか、TBSホールの『コサキン仮面』上映会とか、忘れちゃならない武道館とか。コサキンマンガ本『ヤギ』にプロ作家のくせに素人に混ざって投稿して、そのまま素人扱いで名前しか掲載されなかったのも、今となってはイイ思い出。


また最終回、ムックンが若いスタッフにちらっと苦言を呈する場面があって、賛否両論あるとは思うけど、個人的にはすごくいいと思った。ラビーの回顧と合わせて、甘いだけの最終回じゃなくなったから。

で、これを聴いて思ったのが、「意外とコサキンの復活は早いんじゃなかろーか?」という根拠のない予感。
ここでいったん「コサキン」の27年半のイメージにピリオドを打って、インターバルを置いた後、中年タレント「小堺・関根」コンビとして、1時間とか言わない、例えば週オビ10分で、年齢相応だけどちょっとおバカなラジオトークをする番組を持ってくれれば……と、ちらっと思った次第。


何にしても、小堺一機・関根勤の御両人、27年半の「コサキン」活動、誠にお疲れさまでした。
合わせて、元投稿マニアとして尊敬する“初代ハガキ職人業界人”鶴間政行氏、ならびに有川周一氏、舘川範雄氏、そして歴代スタッフの皆さま、天国のような常軌を逸したギャグワールドを27年半ありがとうございました。
こんな笑いの世界の引継ぎ手は、当分いないと思います。


p.s.
20数年前にムックン・ラビーをモデルにして作ったマンガ用キャラクターは、今後も使わせていただきますね。似てねーのでバレないと思いますけど。

コサキン終了に思う

(2009.2.13記)

TBSラジオで27年半続いた小堺一機・関根勤コンビによる番組が、この3月改編をもってピリオド……との一報が流れて、はや1週間以上。


別に同一時間枠の番組を27年やってたわけではなく、曜日も放送時間もあっち飛びこっち飛びしながらの27年であり、個人的には「あー、とうとう終わるのね」程度の感慨しかない。ファンの言う「どちらかが死ぬまで続く」とも思ってはいなかったし、むしろ全盛期のトークスピードに惹かれてコサキンファンになった者としては、ぶっちゃけ遅きに失した気すらする。
今も1985年当時の『欽グルスショー』の録音を持ってるけど、トークが5倍ぐらい早いんだよねー。


それと、トークの内容が当時はストイックだった。自我を出さずにテンポに殉じてたというか。それゆえのスピードだった。
今は残念ながらそのスピードは無い。20年以上経ってるから当然だが。逆に、自我は5倍出るようになった。それもそれで当然だと思う。ただ、半年以上前だったかに放送でラビーが「昔、自分たちの放送のことをめちゃくちゃ悪く書いた手紙が来て、未だにこの手紙を保管している」としゃべったのを聴いた時は、かなり引いた。

山中伊知郎氏の本『関根勤は【天才】なのだ。』を読んだ時から、んー、ラビーってじつは執念深い性格なのね、とは感づいていたけど、このたぐいの性格というのは本来グロテスクなもので、あんまり進んで感づかせちゃいけないものだと思う。ましてタレントさんは。
だから、コサキンのオンエアの中でこれを聴いた時は、「あー、フィルターが緩くなっちゃったんだなー」と残念に思い、同時に、番組終了の日が近くなる予感も思った。


ワタシのリスナー履歴は、一時断続的に途切れた時期を含めると、24年。2人が年齢を重ね、トーク内容も徐々に年齢相応になっていったものの、一方でハガキコーナーのギャグの質は奇跡的なほど変化無く保たれていて、晩年数年はこのハガキ(とりわけ『おハガキ列島』コーナー)が、昔のコサキンが好きだった自分としてはかすかな心の頼りだった。


世間的には、番組終了について、マスコミ不況がゆえの「高額ギャラタレントのリストラ説」が囁かれてるけど、個人的には、上記の理由で、終了をふんぎるいいきっかけだったと思う。
20年近く前、連載していた某雑誌の中で「コサキン啓蒙活動」をするほど番組に惚れ込んだ自分としては、そう思う。


……あ、あとひとつ。果たして最終回がどんな内容になるのか、すごく興味がある。
かつてレギュラー女性タレントが番組降板する際、番組内で読もうとお別れの手紙を書いてきたのを「そういう番組じゃないから」と一蹴するほどウェットを嫌ったコサキンが、今もこのドライな姿勢を貫いてバカ騒ぎのままゴールテープを切るのか、それとも年齢相応にトークが変化したのと同様、涙で終了するのか。


かつて、番組スタッフと喧嘩した伊集院光の『Oh!デカナイト』は、スタッフの泣かせようとする演出に反発するかのような伊集院の選曲で、『チンチンポンポン』とともに妙な空気のまま終了した。
なぜか唐突に終了した電気グルーヴの『オールナイトニッポン』は、提供クレジットの最中、ピエール瀧が故意に「カーッ」と痰を吐く声を響かせた。(なんとなく理由が推察できた)
丸10年続けたビートたけしANNは、今まで軍団とともにワイワイやってたのに、最終回だけは第1回の時同様、高田文夫氏との差し向かいで淡々と終わった。
とんねるずのANNは、まったく普段どおりだった。

今から楽しみではある。

『タモリ倶楽部』の四半世紀

(2009.1.28記)

今週金曜の『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)は、番組開始27年目にして初の「総集編」なんだそーだ。(ただし個人的には、だいぶ前にあった気がする)

テレ朝の開局50周年記念週間に合わせたスペシャル編。してみると、テレ朝の歴史の半分以上に『タモリ倶楽部』は関わってるわけか。


『タモリ倶楽部』の番組第1回を見た人は、当時20歳だとして、今46歳。なんのことはない、私がそれなのだが。
番組開始当時は、愛知で3ヵ月遅れの放送を毎週楽しみに見てたっけ。以来、毎週とは言わないけど、断続的には26年チョイお付き合いしている。
基本フォーマットは変わったようで変わってないものの、それでも過去のミニコーナーを思い出すと、変わってないようで随分変わった。


Wikipediaの『タモリ倶楽部』の項に過去コーナーの簡単な説明があって、タイトルだけ見ててもやっぱり懐かしい。
やはり初期からの視聴者としては、「廃盤アワー」「愛のさざ波」「総武トレイン」なんてあたりにすごくそそられる。
深夜番組がエロ全盛だった時代の「クイズテイクオフ」とか、VOWネタが流行しだした頃にやってた「東京トワイライトゾーン」とか、それとなく時代の流れに合わせてたのだろーか、それとも単なる偶然か。
現在は、ミニコーナーではなく本編の企画のマニアックぶりが、時代の流れを汲んでるカンジがちょっとだけする。


ただ、上のWikipediaの記事、26年以上やってる番組の記事の割にはあまりにも記述されている年代の情報量バランスが悪すぎ。『タモリ倶楽部』=オタク趣味番組になったのはここ4~5年のことで、知らない読み手が閲覧したら誤解しかねない。困ったもんだ。Wikipediaは便利に使える反面、そんなバランス配慮が圧倒的に欠けてるから、何か調べものをする時は気をつけねば。閑話休題。


で、それゆえ、今回の総集編にはかなり期待している私です。ホンワカした空気みたいなこの長寿番組を、どんだけキチッと整理できているか。ついでにゆーと、初期構成作家・景山民夫氏の扱いはどーなるか。制作会社・ハウフルスさんのお手並み拝見でやす。

 

(記事移行ついでにちょっとだけ後注すると、景山氏に触れたのは出演者として顔を出したワンカットだけ。構成作家としてはノータッチでした)

追悼・赤塚不二夫氏~まとめ

(2008.3.19/8.3/8.6記)

先日ここで「青梅赤塚不二夫会館」のことを載せたあと、アマゾンで赤塚氏関係のCDを衝動買いしてしもた。
そのうちの1枚はCDとゆーか、本とゆーか。今まで赤塚氏の仕事として知ってはいながら、まったく触れる機会のなかった『まんがNo.1』の復刻版、『赤塚不二夫責任編集 ベストオブ・まんがNo.1』。毎号付録としてついていたソノシートの復刻CDつき。


『まんが~』はかつて赤塚氏が編集長を務めた(実質編集長は長谷邦夫氏)、実質6号にて休刊した1972~73年のマンガ雑誌。『MAD』をまねてソノシートをつけたため第三種郵便認可が取れなかったそーだ。


前々から私の中でテーマだった“昭和元禄時代の空気の謎”が、赤塚氏という当時最大のポピュラリティの持ち主を介することで、ほんのちょっとだけ、茫洋とだけど、解読できたカンジ。
うまく説明できないんだけど、頭の中で今まで分断されていた「60年代のギャグ」と「70年代後半のギャグ」がつながった……とゆーか。判りづらっ。


(余談ながら、私の中でこの謎のカギを握ってるキーパーソンがあと2人いて、1人は青島幸男氏。もう1人は立川談志家元)


この本と一緒に、1976年結成のユニット「全日本満足問題研究会」がリリースした
『ライヴ・イン・ハトヤ』(1978年発売、2007年CD化)も買って聴いたので、余計にそこらへんの流れを感じたのかもしんない。
「全日本~」のメンバーは、赤塚・長谷・高信太郎・赤瀬川原平・奥成達の各氏。CDにはこの他、タモリ・山下洋輔トリオ・林美雄他各氏が参加。ラジオドラマがたくさんあった頃らしい、聴くギャグ満載で楽しいです。

 ~ ~ ~

長期入院中だった赤塚不二夫氏が、8月2日、とうとう鬼籍に入られた。享年72。

私にとって、唯一無二の偉大な存在でした。文字通りの第一人者でした。
謹んで御冥福をお祈りします。

 ~ ~ ~

「ギャグ屋」の述懐。

拙サイト『なかむら記念館』の日記がまだ簡易Web日記形式だった2001年11月から、日記タイトルに「ギャグ屋」という呼称を使わせてもらってます。

なんとなく語感が記憶にあったものを使っていたのですが、後日、赤塚不二夫氏が1995年週刊現代に連載されていたマンガのタイトルが『ギャグ屋』だったことを知り、驚愕しました。パクったつもりは全然無かったのに。

 

それまでももちろん読者として、また自分が出版業界に足を踏み入れて以降は「ギャグマンガの第一人者」として、有形無形に影響を受け続けた存在ではありましたが、この一件以来、より一層赤塚氏に対して畏敬の念を抱いておりました。
もっともまぁ、オハナシにならないほど差がありすぎるので、所詮は当方の勝手な思い込みのレベルではあるのですけど……。

 

赤塚先生、お疲れさまでした。
「ギャグ屋」の呼称、あとちょっとだけお借りしてていいですか?
せめて、この仕事を諦めるまで。

青梅赤塚不二夫会館

(2008.3.13記)

2006年8月初旬、池袋のサンシャインで赤塚不二夫氏のギャラリーが開催されてて、その予習もかねて足を運んだ「青梅赤塚不二夫会館」の話。


神田から1時間半、青梅着。駅から歩いて5分ほどの所にあるのが「青梅赤塚不二夫会館」と、併設の「昭和レトロ商品博物館」、別館「昭和幻燈館」の計3館。入場料は全部ひっくるめて700円。


旧家の造りをそのまま利用した建物で、1階がお土産売り場。グッズや赤塚氏関連書籍を販売してた。 コミックオンデマンドで刊行された赤塚氏作品集の無料閲覧スペースがあって、中でも30年ぐらい前に「月刊明星」で連載されていた『歌謡ギャグ劇場』のタイトルをめっけた時は興奮した。懐かしすぎー。

奥の部屋には、赤塚キャラ100人が並ぶパノラマイラストと、記念写真ゾーン。

(当時デジカメを持ってなかったので、DPE屋さんで現像した写真をWeb公開してました。見づらくてすいません)

 

2階は展示スペース。赤塚氏のデビュー間もない頃からの原画展示をメインに、写真パネルや記念グッズ、赤塚マンガが表紙を飾ったマンガ雑誌、さらには「よく残してあったなー」と思うような記事スクラップまで、40年分の赤塚氏の歴史がズラリ!

デビュー直後の、手塚治虫氏を彷彿とさすタッチのサスペンスマンガの原稿あり、 1996年にフジオプロOBが集結して執筆された『シェー教の崩壊』の原稿あり。もちろん『おそ松くん』『アッコちゃん』『天才バカボン』等の代表作も。
個人的には、自分がリアルタイムで雑誌掲載時に読んだ覚えがある『レッツラ・ゴン』のナマ原稿が見られたのが感激したなぁ~。

同じ階のモニターでは、1995年の暮れにテレビ東京で放送した 『赤塚不二夫とトンデモない仲間たち』の録画が流れてて、『シェー教の崩壊』の執筆シーンが映されてた。


最後に再び1階のお土産売り場でいろいろ物色。オモシロげな小物やキャラ人形はすべて「生産終了」だったので、ウナギイヌと“夜の犬” のマグネットと本1冊を購入したら、オマケに赤塚氏の写真ホログラム絵葉書を頂いた。わーい。

 


後日行ったサンシャインのギャラリーも楽しかったけど、密度的には青梅の方が何倍もよかったですわ。もー少し近ければ、今でも定期的に通っちゃうんだけどな。
あの時超気に入った『バカボン』キャラのマトリョーシカ、どっかで手に入らんかしらん。

リレーANNで思い出したこと

(2008.2.25記)

先の土日、ニッポン放送で『オールナイトニッポン』40周年特別企画として、歴代パーソナリティのリレー版オールナイトニッポンをやってたみたい。みたいというのは、新聞のラテ欄で見ただけで聴いてないから。関係者の方、ここ見てたらすいません。


リレー企画のトップバッターが、ビートたけし(敬称略、以下同様)。

で、「たけし」「リレー」「ANN」の三題噺でひとつ思い出したことがあるので、
忘れぬうちに書き残しておく。


いつだったか、木曜深夜のレギュラーのANNの回で、たけしが番組途中の午前2時半過ぎ、突然番組を打ち切っちゃったことがあった。「疲れちゃった。今日は帰るわ」みたいなことを言ってたかな。
で、いつものエンディングBGM『ハイサイおじさん』から一旦CMに入ったんだか、それとも番組区切りのアタック音だけだったか、はっきり覚えてないけど、ともかくたけしが数十分残してマイクの前から消えた。

アタック音の後、当時ANN木曜2部を担当していた谷山浩子が「なんか急に呼ばれて…」と息せき切ったカンジで登場。
番組コール「谷山浩子のオールナイトニッポン!」のあと、オープニング曲『てんぷら★さんらいず』をバックにちょっとトークしてすぐ、「えっ?」とインカムに応えるようなリアクションをして、慌しく曲紹介。で、曲の方はすぐにフェードアウト。アタック音。


……ここまで、何が起こってるのかよくわかんないでしょ? ワタシもさっぱりわかんなかった。ラジオの前でポカーン。でも、次の展開あたりから、だんだん状況が把握できてきた。


アタック音のあと登場したのが、当時たけしANNの構成作家だった高田文夫で、いきなり「高田文夫のオールナイトニッポン! 第3部!」とコール。
ちょっとしゃべって、「一曲いきましょう」と曲紹介して、曲はかからずアタック音。


その次が、「森谷和郎のオールナイトニッポン! 第4部!」のコール。
当時のディレクター(自信無いけど二代目の鳥谷Dではなかったはず)が登場し、すぐに「一曲いきましょう」で、またアタック音。


でもって、「松尾憲造のオールナイトニッポン! 第5部!」。

たけしに弟子入りして間もない頃の、現・松尾伴内。同様に「一曲いきましょう」。アタック音。


そして最後、「ビートたけしのオールナイトニッポン! 第6部!」。

たけしが再登場して、オチ。


この予想もつかない展開のスゴさ。振り回されまくった挙句、5~6部あたりは呼吸困難になるほど笑った。死にかかるほど笑ったネタの記憶って、何十年たっても忘れないねー。
以上、「ワタシの中では伝説のANN」の話でした。

東京芸術劇場市民会館

(2007.6.25記)

先週22日夜、池袋へ出て初めてのナマ志村を堪能してきた。
東京芸術劇場・中ホールの『志村魂2』。


会場は子供連れの家族がいっぱい。ワタシも内心少々興奮気味。昔、『8時だヨ! 全員集合! 』の公開放送の時に「○○市民会館」ってテロップが出てたのを思い出し、「あー、さしづめここは東京芸術劇場市民会館だなー」なんて子供の頃の気持ちと現在の気持ちをないまぜにさせてたせいもある。
ドリフだったのは志村けん1人なんだけどね(汗)。


まだ名古屋公演前ではあるけど、再演部分も多いとのことだし、ざっとならプログラムを紹介してもダイジョブかな。


【1幕】
『バカ殿様』~ジョイント映像~ショートコント集(途中ジョイントいくつか)

 

ダチョウ倶楽部の幕前のやりとりから、踊りで華やかにスタート、そしておなじみ『バカ殿様』のネタに爆笑……ここまでは予想がついたが、そのあとのジョイント映像に度肝を抜かれて、イッキに引き込まれた。(←ここはバラさない方がいーすね)

『全員集合』の舞台演出を思い出すコントがあったかと思えば、『だいじょうぶだぁ! 』風のコントがあったり、かと思うと、いきなり『山崎街道』チックなコントが出てきたりで、ギャグマニアにはもーたまらんです、この構成。(もちろんマニアじゃない家族連れにも大ウケでした、念のため)


【2幕】
津軽三味線~松竹新喜劇『一姫二太郎三かぼちゃ』~おまけ

 

今回、まったく予備知識を入れずに足を運んだので、まさかここで松竹新喜劇『一姫二太郎三かぼちゃ』に出会えるとは! この日イチバンのサプライズ&収穫だった。

志村の“藤山寛美コピー”の演技がじつにうまくて、大阪弁と標準語の差こそあれ、
ヤマをかける場面での声の抑揚なんて、ホントそっくり。あと少し座席が前だったら、拍手してたかもしんない。
原作ではちょっと今の時代にそぐわない場面の部分手直しはあったけど、無理なく、むしろストーリー上はプラス効果をあげてたと思われる潤色も。ラスト、きっちり泣かせていただきましたよ、ええ。昔の松竹新喜劇、まとめて見たくなっちゃった。


行きは『○○市民会館』のつもりで入場したのに、まさか帰りには『池袋角座』になるとは夢にも思わなかった。久しぶりの、心地よい裏切られっぷりを何度も頭の中で咀嚼しつつ、ニコニコ帰宅。

ナマ志村、いや、ナマ舞台はやっぱしオモロいわ。いいモノ観た。

『道頓堀アワー』の記憶

(2007.5.16記)

5月15日、松竹芸能のベテラン漫才師・はな寛太さんの訃報。

61歳というと、かつてのマンザイブームの主力メンバーと年齢的には大差なかったということか…もっとベテランなのかと思っていたので、意外。


1970年代の子供時分、TVの『道頓堀アワー』ではな寛太・いま寛大御両人の漫才をよく見ていた。
寛大さんの得意フレーズ「ちょっと待ってね」を、客席もTV前の自分も、いつ出るかいつ出るかと期待してたっけ。
あまり回数は多くなかったが、寛太さんはたまに舞台で上半身裸になり、ボディビルで鍛えた体をネタにしてたような記憶がある。そういう意味では、最近増えた“筋肉芸人”の元祖か。

ここ数年は、ごくたまーに大阪からの寄席中継で元気な舞台姿を確認する程度だったが、それもおしまい。謹んで御冥福をお祈りしたい。


なんかなぁ、マンザイブーム以前が全盛期だった芸人さんが亡くなると、映像記録が無いから、回顧したくてもできないのがすごく悔しい。
30年前の『道頓堀アワー』の録画、どっかに無いかなぁ。宮川左近ショウ、また見たくなってきちゃった。

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