『笑っていいとも!』の31年半+α

10月22日の『笑っていいとも!』生放送で来年春終了が発表されて、はや半月。
もうあらゆる側面から書き尽くされてしまった後でイマサラですけど、自分なりの『いいとも』終了の復習と、自分なりのオマージュをひとくさり。

 

『いいとも』終了に関しての記事は、この半月で20本近く読んだ。
その中からいくつかご紹介。元記事リンク切れの場合は御容赦。

 

・22日放送における終了発表のやりとり全文(10月22日・東スポWeb)
・事前に知っていた出演者は、笑福亭鶴瓶師とSMAP中居の2人
(11月7日・スポーツニッポン)
・「編成局とタモリが話し合って決めた」とフジ広報部の弁
(10月23日・読売新聞)
・終了に向けたフジ上層部の事前の動き
(10月24日・スポーツニッポン)
 そういえば今、プロデューサーが元『めちゃイケ』の中島Pになってますね。

 

出演者と元出演者のコメントはいっぱい出てますが、私が意見を聞きたかったのはこの2人。
・番組開始時のディレクター、佐藤義和氏
(11月5日・読売新聞)
・タモリデビュー前から親交のある、山下洋輔氏
(11月7日・アサ芸プラス)

 

Wikipediaが盛んになった2000年代中旬以降の番組構成については、Wikipediaの『森田一義アワー 笑っていいとも!』の項に記載があるので、ご参考に。


前ブログでは過去、何度か『いいとも』のことに触れた記事を書きました。

 

★ふた昔以上前、タモさんの至芸を絶賛した上で、
『笑っていいとも!』では「お昼の番組の司会役」という物真似芸をやっている、

と評したのは当時の永六輔氏だったっけ。
じつはワタシゃ、未だに内心そうなんじゃないかと思っているのです。

(2008.8.20記)

★例えば、平日昼の正午に『笑っていいとも!』にチャンネルを合わせちゃうのは、
「タモリが生放送でなんかやってくれるかも?」という
同番組に昔抱いていた期待感の欠片を、いまだに覚えているから。
これなどは「潜在的に好き」なんですね。

(2009.5.5記)

タモリの名言で「やる気のある者は去れ!」というのがあるけど、
近年の『いいとも』は活気をつけよう、話題になろう、とやる気に満ち満ちていて、
「タモさん居心地はどーなのかなー」と僭越ながら慮ってしまう。

27時間テレビかぁ…(2012.7.17記)


正直、この2012年の記事を書いた段階で、27時間テレビが「最後の花道」にして早晩終了するのだろうと思っていました。

ついでにゆーと、番組内にタモリ不在のコーナーが出た際、ネットで話題になりましたが、それは別に終了の予兆とは思いませんでした。以前は珍しくなかったので。むしろ全員揃ってコーナーをやることが普通になった時の方が、違和感ありました。68歳という年齢を考えれば、番組出ずっぱりの方が大変なわけで、休むのは当然。

それよりも、この夏、タモさんが西野カナの曲の歌詞にツッこんでたのを知った時は、「あー、タモさん疲れてるんだなー」と思いました。
同時に、「ニューミュージックや名古屋をツッこんでたあの頃と同じだ」とも。


芸能人として多忙を極め、疲れとストレスと、それでも笑いを義務的に作らねばならなかった1970年代後半~80年代前半当時、タモさんとビートたけしが中心になって、笑わせることを意識していない人や物をツッこんで笑いを誘う「森羅万象ツッコミ」というギャグの一ジャンルが確立されたのです。(それ以前にも同趣旨の笑いはあるにはありましたが、傍流の笑いでした)


「森羅万象ツッコミ」は作りやすい上に分かりやすくてTV向きだったため、たちまち定着しました。現在はさらにコンパクト化、馴染みやすく「あるあるネタ」と変化して今日に至ります。

 

話が大きくそれましたが、今まで封印していた音楽性ツッコミを再び始めたのは、当時同様疲れていて、こらえが効かなくなったのかな?と思ったわけです。
(同じことを、コサキン終了の時にも前ブログに書きましたっけ)
夏頃、妙に高齢者特有のか細い発声になってるなーと思ってたのもあったんですがね。

てなことを思いながら記事を更新できないままいたら、11月5日のテレフォンショッキングで志村けんに終了のことを聞かれて、「体がもう…」と笑いながらも答えてましたもんね。
TV局の事情は事情として、やっぱり一番の理由はそのへんなのでしょう。


とりあえず来年3月までは、平日正午は『いいとも』見ます。
何かに期待して。