サヨナラと御無沙汰

じつは先週、愛知県の実家近くに引っ越しまして。
仕事の方は東京の頃とほぼ変わらないと思います…つーか、仕事くださいマジで。よろしくお願いします関係各位。って、わかりやすい都落ちだなオイ(自虐)。


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ところで、東京を離れるにあたって仕事以上に断腸の思いだったのが、東京キー局のラジオ番組が聴けなくなることでした。

28年前の1985年3月、愛知から新幹線で上京した時、大半の家財道具はトラックで運搬したんですが、唯一手荷物として持って運んだ家具が、愛用のラジカセでした。
そのラジオで上京間もない夜に聴いたのが、TBSラジオの『日産ミッドナイトステーション 欽グルスショー』のコサキン。
小堺・関根の御両人が浅井企画を探訪するという、今思うとイレギュラーな回。
その後コサキンから得た新しい笑いの刺激は、自分の笑いの嗜好を変えました。


伊集院光のオールナイトニッポン2部は、偶然放送第1回から聴きました。
いわゆる「芳賀ゆい現象」はムーヴメントものの企画としてすごく鮮烈でしたが、一方で、伊集院さんがほんの数人のリスナーのためにやるロケ企画もやったりして、「なんで何万人も聴く番組のパーソナリティがほんの数人のために働くんだろう?」と、当時すごくフシギに思ってました。
で、あとで伊集院さんが落語家・三遊亭楽大という顔も持っていることを知り、さらに2000年以降、自分がさまざまな落語会に通うようになった時に判りました。「ああ、ほんの数人の前で芸をやることも厭わない人だったんだ、当時のいじゅさんは」…と。
今はポッドキャストやなんかあるとはいえ、伊集院光のラジオを聴く、というひとつの人生習慣が無くなったのは残念。


その次の衝撃は高田文夫先生の『ラジオビバリー昼ズ』かな。
当時ブイブイ言わせてた若手の高田軍団も、今や演芸界では中堅からベテランですものね。先生、どうか長生きしてくださいまし。


『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』も東京で初めて聴けたんだっけ。
一昨年、収録現場に立ち合えて見学できたのは一生モノの思い出。


それから『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』。(TBSラジオに偏っててすいません)
こちらは、元仕事仲間の古川耕氏が構成作家で出ているのがキッカケで聴きだしましたが、あんまり長くはお付き合いできなかった。スマンね。


そうそう、『バナナマンのバナナムーンGOLD』もあった。
人気コーナー「ヒムペキ兄さん」を1年分まとめた年末恒例「ヒムペキグランド大賞」のセットリストが、今年からは公開できません。拙ブログを「ヒムペキ」で検索してくる人がとても多いのですが、そんなわけで今年度からはゴメンなさい。


東京キー局のラジオ、どれも楽しかったです。28年間ありがとうございました。


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でもって、愛知に戻ってきて楽しみだったのが、CBCラジオの『つボイノリオの聞けば聞くほど』をちゃんと聴くこと。
今までもタクシーの中でチラ聴き程度は聴いたものの、全編聴いたのは今日が初めて。
いやー、やっぱしよかった。以前と変わらぬ、つボイさんの博学+カルさのミックストークと見事な交通整理。
そして昔より名古屋弁(プラス京都弁?)を意識したトーンが朝粥みたいに耳に優しく、ハードな話題も拒否反応無くスイスイ頭に入ってきたのでした。


深夜ラジオを聴く回数は今後減りそうだけど、『聞けば聞くほど』はこれから午前中の日課になりそうですよ。ワクワク。