35年ぶりのシントトシントト

ぼちぼち上映が終了するので、映画『の・ようなもの のようなもの』(杉山泰一監督)の感想を。
観覧は1月18日と2月8日の2度。場所はいずれも名古屋・ミッドランドスクエアシネマ。

 

2011年に逝去した森田芳光監督のデビュー作『の・ようなもの』の続編というかオマージュ編。杉山監督以下かつての森田組が結集して……という一番の触れ込みは、他の森田作品をほとんど知らない私にはあまり関係なくて、それはさておき2度ともとても気持ちよく映画館をあとにできました。これがナニヨリ。
今回の主演・志ん田(松山ケンイチ)は「落語がヘタ」の設定だけど、意外に巧かった。近年の落語映画・落語ドラマの主役級の中ではトップクラスじゃなかろーか。

 

1回目に観たとき、実は引っかかった点がありましてね。
志ん魚(伊藤克信)の復帰高座で、かつて得意ネタだったとはいえ『二十四孝』なんておよそ銭湯寄席向きじゃない笑いの少ないネタを選んだこと(案の定ウケない)と、兄弟弟子たちがその光景を見て「得意ネタでアレじゃ…」と一門会出演を取りやめにさせようとしたこと。「『二十四孝』がどんなネタか落語家なら知ってるはずなのに、それで『ウケない』と評価するのはなー」と、その脚本にずっと納得できませんでね。

頭に?マークを浮かべつつ、その日の夜に森田版『の・ようなもの』の録画DVDを観返したら、志ん魚が女子高生の彼女の家で、父親の前で『二十四孝』を演じる場面が。
この大事なシーンが記憶から消えていたので、ここで初めて「あーそーか、このシーンのオマージュか!」と気づき、スーッと溜飲が下がったのでした。

 

他にも、志ん田が師匠のお墓の前で志ん魚の新作落語『出目金』を演じ終えた横から夕美(北川景子)が「ヘタクソ!」と声をかける場面が、やはり前作のクライマックスシーンのオマージュだとわかったり、エンディングの歌が同じ尾藤イサオの『シー・ユー・アゲイン雰囲気』だったり、映画館で気づかなかった点がいろいろ発見できたのもよぉございました。

金属落語の志ん菜(大野貴保)も、志ん肉役の小林まさひろも、35年分の年を経た顔に変わっていたし。

 

志ん魚が『黄金餅』を語り始めるシーンは、前作の最も印象的だった道中付けを思い出し、今でも胸が熱くなります。最高のオマージュ編でしたね。

きっと泉下の出船亭志ん扇師匠……いや、入船亭扇橋師匠もお喜びでしょう。