私設「わろてんか」反省会・3

1ヵ月前の拙文では、喜楽亭文鳥の登場週で大喜びしていたのだけど、その翌週からビックリするくらい元通りで、なんだこのシンデレラみたいなヌカ喜びはと正直呆れた。要は11月初旬までのツッコミ所満載のストーリーに戻ってしまった。

 

今はもう、内容については大きな期待はしなくなった。つーか小さな期待もしてない。最近、風鳥亭の事務室と楽屋が学校の教室に見えてきた。脚本担当の方はこんな史実に基づいた再現ドラマでなく、ホントは学校が舞台の青春ドラマが書きたいんだろーなー。たしかまだ大正時代のはずなのに、21世紀の10代の若者みたいなキャストのやりとり。スタッフロールに名前を連ねている「時代考証」の先生は一体どの部分を考証なさっておられるのか。あるいは映像が完成するまで脚本見せられてないのかもしれない。あとで頭抱えてたり。もっとも見様によっては、今年のフジの27時間テレビであったバカリズム脚本の戦国武将ドラマにおけるミスマッチギャグに似てなくもないので、いっそ早いうちにどこかで「実はこのドラマはそーゆー仕様なんですよー」と宣言しちゃった方がいい。そうすればすべて納得はできる。それが朝ドラに相応しい演出なのかは別問題として。

 

それよりも、描こうと思ってた月の井団真(北村有起哉)の似顔絵を他用で後回しにしていたら、本人が出てこなくなってしまったので困った。SNSばりの早すぎる展開も困ったもんだ。

これは私個人のドラマの楽しみ方かもしれないが、ストーリー上で一つの問題が持ち上がった

時、それを登場人物がいかに解決(または成就に向けて行動)してゆくかの人間的な揉み合いを視聴者に見せるのがドラマの本領であって、同時にこのドラマに致命的に欠落している点でもある。表面だけなぞって展開を急ぐからダイジェストみたいになっちゃう。さっき「史実に基づいた再現ドラマ」と書いたのはこのことね。

ひとつ寄席シーンから例をあげるなら、キース(大野拓朗)とアサリ(前野朋哉)がコンビを組むにあたって、今まで一切話題にもしなかった音曲万歳(という形式のハリセンどつき漫才)を始める。それはまだいい。しかし普段着から舞台衣装まで子供時代からずーっと着たきりスズメだったキースが、ここに及んで何の前触れもなく突然衣装を変える。これはひどくないか。ドラマ第一週から出ている主要キャラでそれ相応の性格設定もあるだろうに。つーか、舞台に普段着で出ること自体が前から気になってたので(大正期にはそういう芸人さんもいたのだろうか…と考えるのも今は空しいのだけど)、この変化は解せなかった。この後は伊能さんにあつらえてもらったスーツで高座に上がるんだろうなぁ。

 

そんなわけで、『ひよっこ』の頃は1日3回見ることもあった朝ドラも、ここへきて1回。どうかするとその1回も見流し気味になっている。藤吉(松坂桃李)がボソボソ何しゃべってるかわかんなくても、わかんないまま再見確認もしなくなった。

あとの楽しみは、月の井団吾(波岡一喜)の高座シーンと、藤吉がどのタイミングで死ぬか。これしかないなぁ。(吉本せいの夫・泰三の死って史実だからかまわないよね?)