24年ぶりの「月刊OUT」

今月20日、KADOKAWAから「OUT 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 特集号」というB5判のムックが出た。

私の手元にもあるのだけど、「おいおいOUTがあるよ」という、なんだか妙なカンジ。

今回、新作映画の公開に合わせて1号だけ復刊ということで、お祝いのイラストコメントを寄稿させていただいた。担当の小林さん(元OUT編集部の二代目Mさん)、お声掛けいただき感謝します。

 

「OUT」が休刊したのは1995年3月。出版元のみのり書房も、今は無い。

私自身「OUT」についてはネット上でもどこでも書くことは無かろうと思っていたし、事実もうかなりのことは忘れてしまったのだけど、せっかくなのでちょっとだけ自分の「OUT」歴を書き残す。

 

★初めて読んだ「OUT」は1978年9月号(映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の特集号)。今まで見たことの無い投稿ページの面白さにハマって、翌10月号から読者になった。この頃はまだ完璧なアニメ雑誌ではなく、10月号も海賊版コミックの特集。

 

★翌1979年4月、『機動戦士ガンダム』の放送が始まって、たびたび企画された『ガンダム』特集が大当たり。

また同年1月号から、私の業界の師・さくまあきら氏がえびなみつる氏と組んで連載ページを開始。ほどなく堀井雄二氏もライターとして参加しだした。当時、お三方と大学時代のお仲間が編集部にいらっしゃって、その伝手による加入の由。

「OUT」はアニメのパロディで人気が出たので、私もアニメ好きで読者になったと思われている向きがあるけど、むしろ「OUT」で好きだったページはアニメ記事以外で、もしアニメ色が濃かったら恐らく読み続けていなかった。

 

★高校3年間で投稿マニアに育ててもらい、大学1年の頃に「OUT」の常連投稿者へのアンケートや執筆者Q&Aなどを載せた同人誌を、編集部ご協力のもと作成(当時はコンプライアンスが緩くて常連の住所を教えてもらえた)。

バックナンバーを全冊コンプリートしたのもこの時期。

そしてこの同人誌を基盤に、1982年に読者サークルを発足。

 

★1985年に上京、さくま氏の事務所で勉強。

当時「プロなら投稿はするな」と教えられていたので、投稿者時代と一線引きたい思いで「OUT」編集部には上京後行っていなかった。しかし1986年に当時の大徳編集長(Tさん)からありがたいお導きがあって、同年執筆者の仲間入り。

 

★「OUT」では4コマやイラストを2年くらい担当(期間をよく覚えてない)。

途中、1987年5月号の10周年記念号では「OUT辞典」を執筆させていただく光栄を授かった(実は前述の同人誌でも同旨の辞典を掲載していて、一部そのリライト)。

 

★1988年暮れ、スタジオHEGEというライター団体を結成。「OUT」では1989年頃から休刊号までずっと面倒を見ていただいた。この時のご恩は忘れたらバチが当たると思う。もっとも私の参加は初期のみで、途中からフェードアウトしてしまったのだけど。

 

時代の流れやらなんやらで誌面が変遷していった中、私にとって特に語りたい「OUT」は、やっぱり前半の7~8年。後半10年は「仕事場」としてとてもお世話になった場所。

どちらにしても、「OUT」が無かったら今の自分は絶対無かった。さくま氏にも出会ってないし、スタジオHEGEも作らなかったから。あるいはネットも始めてなかったかも、と思うとゾッとする。最初にネットで文章を書いたのがスタジオHEGEのサイトだったから。

 

結局、昔話だけになっちゃうんだよねぇ。
すいませんねKADOKAWAさん、これっぽっちも『ヤマト』に触れなくて。