『ムー一族』賛江

何の楽しみも無い生活が延々続く中、今年一番といっていいくらい楽しみにしているのが、BS12で4月からスタートした『ムー一族』の再放送。

 

久世光彦氏演出のTBSドラマシリーズ、同局では『時間ですよ』が最初だったかな。次が『寺内貫太郎一家』で、間を置いて『ムー』『ムー一族』と見続けている。このうち『ムー』シリーズだけは放送されてた1977~79年頃ずーっと裏番組の『欽ちゃんのどこまでやるの!』を見てたせいで、完全に初見。40年以上前のドラマをとても新鮮な思いで見入っている。

これもあと2週3話(1週2話ペースで放送、最終週は1話)で終了してしまうのが残念。今からロスを心配中。

 

それはそれとして、先週(8/3)放送『ムー一族』36話の中で、笑いマニアとしてはちょっと看過できないくだりがあったので、既にあちこちのSNSでは書いてしまったけど改めて自分のブログにも書き残しておく。

 

この第36話は生放送(1970年代のドラマとしては珍しくたびたび生収録をしていた)。冒頭アバンタイトル部分で、郷ひろみが視聴者に生電話をしていると、フロアディレクターがカメラ前に割り込んできて、イラつきながらオープニングまでのカウントダウンを始め、その流れからなぜか郷と一緒に歌い出す。

「僕の名前はひょうちゃん」「僕の名前はきんちゃん」「二人合わせてひょうきんだー、君と僕とでひょうきんだー」

そのあと郷が「TVに出たがるな」とディレクターの頭を叩いてオチ。

 

この36話が放送された1979年1月第三週というのは、『オレたちひょうきん族』どころか、まだMANZAIブームも始まってない頃のこと。そんな時期にTBSのドラマでこんなノリを既にやっていたことは、ずーっと昔に当時の『ひょうきん族』の出演者だったかスタッフだったかの本で読んだ記憶がウッスラある程度で、実際に見た記憶は無かった。

もっとも『ムー』シリーズでは当時のADさんがレギュラーキャストにいたし、何かというと裏方とか役者以外の関係者も出演していたしで、いずれスタッフが今回みたいな演技をカメラ前でするっていう予兆はあったでのだろーね。もちろんあの「ドラマのTBS」と言われたTBSが、コントやバラエティでなくドラマ内の一演出でやったことには驚きましたが。あと後年のフジ『ひょうきん族』は全体的に素人芸っぽいグズグズ感があった。

 

そうそう、一番驚いたのは、その「ひょうきん」ってキーワード。特番で『ひょうきん族』がスタートしたは1981年5月、そのずーっと前ですもん。スタッフが「出たがり」って言われたり。こんなノリは素人番組が定番化したバブル前期あたりにフジがこしらえたもんだとばかり思ってました。その何年も前にTBSがやってたとは。

で、40数年間それをまったく知らなかったとは。いやいや恥ずかしい。当時からリアルタイムで『ムー一族』を見ていた人にとっては、ここに書いていることがすべてナニヲイマサラなのでしょうけどね。

 

蛇足ながら、今回の一件で思い出したのが、かつてフジの『欽ドン』でハガキ投稿された替え歌「♪カラスなぜ鳴くの~ カラスの勝手でしょ~」が、いつの間にか裏番組TBS『8時だョ!全員集合!』でネタフレーズとして大流行したこと。『欽どこ』同様『欽ドン』もずっと見ていた私は、1980年春の『欽ドン』第1次シリーズ終了とともに再び『全員集合』を見るようになって大いに驚いた。

「カラスの勝手」は『現代用語20世紀事典』(自由国民社)によれば1980年の流行語。『欽ドン』終了時期とタイミング的には合致している。ただ、「カラスの勝手」の元ネタが投稿ハガキだってことを指摘する声、ネットではほとんど無いんだよなぁ。元投稿マニアとしてはとても口惜しいこと。

このフジとTBSの関係、あえてこれ以上詮索はしないでおくが、あの頃のTVってこんなかんじだったっけなぁ、とつくづく思う。つくづく。

 

(8月17日追記)

本日放送終了。本放送41年半後のに感謝の意を込めた似顔絵イラスト描きました。