二人のトップランナー

すっかり2ヵ月置き更新が定着してしまった当ブログだが、今年は東西演芸界に訃報が相次ぎ、この2ヵ月の間にも笑福亭仁鶴・柳家小三治という東西の落語界のトップランナーが逝去されるという、にわかに信じ難い出来事が起きた。

 

仁鶴師は1960年代から大阪のマスコミで売れ始め、その後全国区へ。吉本興業台頭の原動力となった「元祖タレント落語家」。初代桂春団治の爆笑系譜を継承し、年を経るにつれて貫禄も兼ね備える中、時折垣間見せる往年のコミカルさで多くの上方落語ファンを魅了した。

個人的には1970年代にリリースしたレコードの見事な爆笑高座が忘れられないのだけど、90年代頃からたびたび声が飛ぶ高座をTVで見るようになり、以降発声をセーブされていたようにお見受けする。それと同時に、近年は悪人の登場するネタを避けておられたように思う。

生で高座に触れられたのは、2003年11月に横浜・関内ホールであった独演会の一度だけ。この時点で既に、あまり東京へはおいでになられていなかったように記憶する。演目は『初天神』『壷算』という定番2席だったが、マクラでネタに則したご自身の回顧談をしみじみと語っておられる姿が今も記憶に残っている。

NHK「生活笑百科」の司会を長らく務める一方で、四天王に次ぐ重鎮として存在感を示しておられた。今頃はあちらで愛妻・隆子姫と再会してらしゃることだろう。8月17日。

 

小三治師はこれを書いている17日現在、いまだに信じられない。それほど急な訃報だった。

私が最初に小三治師をちゃんと認識したのは、NHK「お好み演芸会」の大喜利コーナー「噺家横丁」の司会だったと思う。そのあと同番組内で聴いた『時そば』がめちゃくちゃ面白くて、思わず記憶したあらすじをノートに書き起こしたくらい。「おれァもうやんなっちゃったなー」のキラーフレーズが心に見事に刺さったなぁ。あと一時期「ヒントでピント」のレギュラー解答者としても活躍されていたっけ。

東京で頻繁に落語通いするようになった2000年以降は、マメにとは言えないけど、ちょいちょい生高座に触れられた。都内の4軒の寄席で1年のうち必ず一度はトリを務めておられたからで、数えたら通算20高座(19興行←独演会2高座あり)。『睨み返し』『かんしゃく』『お茶汲み』『転宅』『船徳』『一眼国』『らくだ』『長短』他、今なお忘れられない高座がいくつもある。東京かわら版の400号記念落語会にも出演なさっていた。

最後に生で聴いたのは11年前の五代目柳家小せん師のお披露目(新宿末広亭)だったから、体調をお悪くされる前で私の小三治師の記憶は止まっている。10月7日。

 

かつて落語に脚光が浴びる機会が少なかった時代ならば、もし今回のような大物2人の訃報が続けてあったら、さぞ悲壮感が半端でなかったと思う。ただ現在は、残念とは思うものの、そこまでの悲壮感には至っていないのが救いかもしれない。

偉大なる先駆者二人が落語界に残した功績を今後も噛みしめつつ、謹んで哀悼の意を表する。

仁鶴師匠、小三治師匠、長年ありがとうございました。