「タモリ倶楽部」の40年は…

40年プラス半年という深夜番組史上未曾有の長寿を誇った「タモリ倶楽部」も、とうとう終了の日を迎えた。

キー局のテレビ朝日では3月31日、うちの地域(メ~テレ)では4月24日が最終放送日。回数にすると全1939回だそうだ。

↑こんなテロップがつきました

40年続いた番組に付く(終)マークの重み

最終回の内容は、久々にタモリ自身が主軸で進行する料理企画。

とはいえ、最終回らしい要所の際立たせや盛り上げ演出などは微塵も無く、番組ラストのタモリ自身の挨拶と拍手以外は、通常と100%同じ放送ぶり。

前週予告からその姿勢は徹底していて、うっかりすると最終回と気付かず見落としたかも。ただ番組終了のニュースは新聞やネットで既報だったし、SNSの関係アカウントでも事前に告知されてたので、さすがにその憂いは無かったのだけど。

 

むしろ、前週の「空耳アワードSP」の方が番組最終回っぽさを充満させてたかもしれない。

賞品にスタッフジャンパーが久々に出たり、おなじみの空耳俳優たちが総出演したり、安齋肇さんが若き日の自身が出演する空耳を振り返ったりしてたから。ゲストの松たか子さんなんて涙ぐんでたもんね。

それでも、出演者がラストを匂わす発言をするようなシーンは、直接にも間接にも一切流れなかった。

 

私は普段見てない番組でも最終回は見るくらいの最終回マニアなのだけど、1981年の放送第1回から(途切れた時期も含めて)40年付き合った番組、さすがに本当ならばフラットな心理じゃオンエアに臨めなかったはず。

でも、冒頭に記したようなローカル放送のタイムラグがあったうえ、リアルタイムで番組をチェックしたであろう方々のSNSでの反響がビックリするくらい薄く、おかげでだいぶクールダウンして臨めたように思う。

ちなみに、番組内容の過去を振り返った思い出話については、14年前書いた「『タモリ倶楽部』の四半世紀」(2009年1月28日)という文を当サイトの「旧ブログ記事」のカテゴリで再録してますんで、ご高覧願えれば幸い。

 

 

開始57年の「笑点」も、47年の「徹子の部屋」も、どちらも40年以上見てるけど、番組が生まれては消える深夜放送という枠での40年となれば、やはり意味は異なる。

同じタモリのMCでほぼ同時にスタートした「笑っていいとも!」は2014年3月31日に終了したが、そこからさらに9年間生き永らえたのは、やっぱりすごい。だってタモさん今年78歳ですよ。「いいとも」終了時、かなりお疲れだった様子が窺えたし、余計そう思う。

それゆえ「最終回を見た」というより、「最終回まで見届けた」という気持ちが、より強い。

 

↑タモリ関係の資料を探したら、「タモリ倶楽部」スタート前のものしか無かった(汗)

40年前のタモリは、NHKにレギュラー番組こそあったものの、まだ正体がよく判らない不定形イメージが強いタレントだった。

その中で確立していた特徴といえば、大人の胡散臭さと、人物模写から垣間見える頭脳明晰さ。

永六輔さんだったかが、「いいとも」のタモリを見て「お昼のバラエティーの司会者役を演じている」と評してもいた。

その「いいとも」と相反するイメージ、従来通りの胡散臭さをキープし続けられる場としてスタートしたのが「タモリ倶楽部」だったわけなのだが。

 

その後はご存知の通りで、タモリは現在国民的人気タレントであり、「タモリ倶楽部」の趣旨もいつの間にか「タモリとゆる~く楽しむ趣味番組」へと様変わりした。

個人的には、タモさんのタレントとしてのグレードが大幅に変貌したこととか、番組のカラーがマニアック方面に変わっていったことに対しては、何の異論も無い。

ただ、近年「ゆる~い番組」の代表みたいに位置付けされているのに対しては、「そうだったかな?」と首を傾げ続けていた。

もっと言うと、「ゆる~い」なんて流行表現が生まれる以前、番組を表現するのにもっと的確な言葉があったはずだけど…。そう思ってた。

 

で、上の写真にある42年前の「広告批評」のタモリ特集を読み返してるうちに思い出した。

そうだ、以前は「適当でいいんだよ」ってよく発言してた。

「ゆる~い」ではなく「適当」。これが自分的にしっくりきた。

 

タモさん、かつて「やる気がある者は去れ!」ともよく仰ってた。

この精神こそ「タモリ倶楽部」のかつてのメインテーマだったはず。

それが年を経て、マニアック番組に移行してからは、正直薄らいだ。

あるいは「適当にやる」→「好きなこと(=趣味)をやる」に拡大解釈したということか。

 

とはいえ、しかし。

最終回の料理で「数量を決めて作る」と宣言しながら「適当に…」を繰り返したり、当初3品作る予定だった料理が時間の都合で2品で終わってしまったり。じつは最後の最後までタモさんの「適当イズム」は健在だったかもしれない。

タモさんには最大級の、適当な敬意を表します。同時に、お尻のオープニングを40年間(休止期間もあったけど)続けて来られたスタッフ諸兄にも。

 

40年プラス半年間、お疲れさまでした。

ひとつの番組、ひとりのタレントの40年に添い遂げるという貴重な体験ができ、光栄でした。